冬の木





 寂しい世界に、生きている像がありました。
私がそこに行った時は、ただただ白い雪と暗いどんよりした雲が空一面を覆い、何の音もしないのでした。
目がおかしくなるほど色彩はなく、私が正気を保つ事ができたのは、顔と手足を襲う突き刺さる寒さのお陰、それだけの理由でした。
 どのくらい私は雪に足を取られたでしょう。
一体どれだけ体に疲れは溜まっていたでしょう。
そんな時に、私は出会ったのです。
あの生きている像に。
 いえ、何の事はありません。
単に、この寂しい景色にただひとつだけある枯れ木に、武骨に彫られただけの像ですから。
この寂しすぎる世界です。
おそらく、私のようにこの地に訪れた誰かが、あまりの寂しさに少しでも寂しさを和らげる為に彫った像だとその時の私には思えました。
人をまるで寄せ付けないかのように、トゲが手に刺さる、木の皮の向こう側にあるやわらかい白木に彫られた何者かの像でした。
 見とれて気づきます。それは憤怒の像だと。
心に悲しみを持って人を裁く神像だったのです。
ですが、その像にその気配はなく、柔和に笑っているかのようでした。
この寂しい世界に、足りていない柔和さを届けているかのようでした。

 こうなったのは、風雪のためだけではないでしょう。
木が、成長したのも一因だったのではないでしょうか。
木が枯れていたのは冬だっただけのようでした。雪の重みで折れただろう小枝の断面は、瑞々しくそれは木が死んでいないことの証拠でした。
 像が笑っていたのは、この世界に足りないものを届けるだけでなく本当に楽しかったからかもしれません。なぜだか急にそう思えてきました。
怒りと悲しみを捨て、ここで楽しみを覚えたからかもしれません。
生きているために、その像が。

 今は冬です。
私は冬しかこの地を知りませんが、春は沃野になるように思えました。
この寂しい景色は寂しい物ではないのかもしれません。
春は、この冬を経験するからこそ輝くものなのですから。


 私はその像に一礼して、そこを去りました。
いずれまた夏にここを訪れ、あの像に会いに行こう。
木の、成長の余りにいずれ消え行く像に。
木の中に、溶け込んでゆく、像に。
会いに行こう。そう思いました。


 振り返ると、吹雪がその像を覆っていました。
もう、見えなくなっていましたのです。


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